ライブ 2011.08.20


赤坂サカス

Sacasライブへの道 〜その1〜

2011/8/20

そんなこんながありまして(笑)、秋から冬にかけて頻繁にバンディーズのライブに足を運ぶようになりました。年明けには、ハングリーの帰り道に練習した成果が役立った「ボーリング大会」もありました。

そのうちに「なんとか自分の仕事をバンディーズのために役立てることが出来ないだろうか?」と考えるようになりました。「バンディーズを番組に出演させる」のが目標ですが、これは放送局側にもメリットが無いとなかなか難しく、いい機会がありません。そこで、まずSacasでのイベントに登場してもらい、そこから更なる展開を探る事にしました。

(前年の夏Sacasでは「玄関ホールにサテライト・スタジオを作り、毎日番組を放送する(ただし、エリアワンセグのみ)」という「業務」があり、若手を中心に日替わりでプログラムを組んでいました。ベテランも登板しないと示しが付かないのですが、若い者に負けないないクオリティーにしなければいけないんで、私の担当の日は自分が得意なオールデイズをたっぷりかけることにして、フィル・スペクターに詳しい原めぐみさんにお願いしてゲストとして出演してもらいました。)

しかし、バンディーズはその時点で4月に解散してしまうことが決まっていたので時間が非常に限られています。冬はスケートリンクになるので、春Sacasでライブをやってもらうしか、もうチャンスは残されていない状況でした。「私たちには、時間が無いのよ!」

まず困ったのが、「TBS側から発注された仕事」ならいい待遇が期待できるのですが、この場合は社員であっても「外部からの持ち込み企画」だということです。後で聞いたのですがそれでなくても「ギャラなどの予算がないイベントで、プロのタレントであってもノーギャラで、それでも出たい人はそれなりにいる」ということでした。プロには「ノーギャラでもプロモーションになる」というメリットがあるのです。

ありがたいことにボスは「TBSに絡むことができるならノーギャラでもいい」と言ってくれました。そこで次にSacasのイベントを担当している部署に出向いて出演を依頼します。外部から出演者を募っているわけではないので、頼み込んでスケジュールに入れてもらうことになります。そもそもなぜ私がこんなことをしているのかも含めて説明しなければなりません。「自分が応援しているグループであり、放送局のイベントにふさわしいゴージャスなステージで、集客も見込める」というような話をしました。

ボスに赤坂に来てもらって、担当部署の責任者と大きな会議室で顔合わせをしてもらい、ようやくライブの日取りも決まりました。Sacas広場も春に向けてスケートリンクが取り払われ、ライブの会場となるステージが姿を現し始めたちょうどその時、あの未曾有の大惨事が日本に、そして私たちのプロジェクトに襲いかかったのです!(つづく)

Jun/2012/08/13(Mon) 23:09

Sacasライブへの道 〜その2〜

2011/8/20

3月11日、震災当日は会社で崩れた個人資料の山を片付けながら社員の配置の手配をしていましたが、ターミナル駅の大混雑を見たのと、翌朝日の出の時刻からヘリコプターに乗って被災地上空からリポートする業務を担当することになったため、帰宅しないことに決めました。家族とは早くからチャットで連絡がとれていたので、そちらの不安はありませんでした。

気になったのはすでにチケットを買っていた横浜ベイサイドでのライブです。ネットの書き込みを見ると決行のようなので、ヘリで飛びながら何とか行く算段をしたのですが、結局「夕方もう一回飛んで欲しい」という注文が入り断念。これは今でも心残りです。

さらに、数日後さらなるショックが。会社が「春Sacasのイベント中止」を発表したのです!せっかくねじ込んだスケジュールなのにあえなく消滅してしまいました。それ以上に「これでもう赤坂で バンディーズのライブを演出することは出来ないんだ」と思うと胸が張り裂けそうでした。

イベント中止が決まって、Sacas広場はがらんとしたまま。帰り道に眺めるとライトも消えて寂しい限りです。ステージの上もすべて片づけられ、風が吹き抜けるだけ。幻となったライブの情景を想像しながらため息をつくばかりで、それをネタにゆもちゃんと痛飲したのもこの頃でした。震災の被害も広がる中で、毎日心が沈んでいました。

ところが、神はバンディーズを、Sacasイベントでのライブを見捨てていなかったのです!

解散を一年延期するという大英断があり、もう一度、最後のチャンスがめぐってくることになったのです!(続く)

Jun/2012/08/28(Tue) 13:49

Sacasライブへの道 〜その3〜

2011/8/20

震災直後ということで春は中止になってしまいましたが、夏Sacasは「震災復興支援」を掲げて開催することが決まりました。バンディーズの解散も一年先に延びて、これで赤坂でライブが出来る条件は整いました。しかし、状況の変化はそれだけではありませんでした。

4月になって新年度に入りTBSは開局60周年を迎えました。そこで一年を通じて60周年を記念する様々な行事が行われることになりましたが、その一環として夏サカスではこれまで放送して来た番組を振り返る展示をすることになり、中でもサカスステージは「8時だよ!全員集合」のセットを再現するというのです!それはつまり、キャンディーズが歌ったりコントを披露した風景の中でバンディーズが歌うことを意味するのです!!

未曽有の大災害がきっかけとなって生じた事態ですから、喜んでいいの かどうかわからないところもありました。でも、心の中で手を合わせつつ、生き残ったものの務めとして前に進むことにしました。

気持ちを切り替えて、再びサカス担当の部所へ出向き、春と同じ条件でライブを開催することを確認して、日程の詰めを行ないます。ミスコンテストなどが入って丸一日使えない日もあり、他のイベントとの組み合わせも考えなければならず、なかなか確定できませんでした。

せっかく赤坂でライブを行うのですから、打ち上げも日頃から馴染みの店にサービスしてもらうことにしました。

ここで困ったのがカメラの扱いでした。敷地内は普段は撮影禁止なのですが、それではバンディーズのライブの魅力が半減してしまうので、会社に許可をもらって撮影ができるようにしました。森田さんにカメラマンの人数分の腕章を用意してもらいましたが、これは杞憂だったようです。

ようやく日取りも決まり、ライブ当日は天気にも恵まれました。担当セクションが局内に予想以上に良い個室の控え室を用意してくれたのが嬉しかったです。

ライブでは紙テープの威力が遺憾なく発揮され、特に「哀愁のシンフォニー」で鈴なりの観客から上がった大きなどよめきは忘れられません。そしてドリフターズのメンバーのパネルが貼られた、あの懐かしいデザインの背景の前で歌う三人の姿を見た時、それまでの慣れない作業の苦労も吹き飛びました。ボスの「8時だよ!」も喜んでもらえたようで何よりです。w また「ザ・ベストテン」のセットや鏡の回転ドアの前での写真も良い記念になったと思います。

改めて振り返ると、このライブもいろいろな困難をピンポイントで通り抜けて実現した奇跡的なイベントのひとつと言っていいでしょう。

Jun/2014/01/07(Tue) 16:39